また、江戸時代(正保2年)当時の尊覚住持が京都の大覚寺宮に招かれ書講を行い、その功績により大覚寺内の「大智院」を下賜されました。 これにより宮殿下に准ずる待遇を受ける事となり、以来当寺住職は「院家(いんげ)」の尊称で呼ばれるようになりました。
最盛期には80を越える末寺を擁する肥前の大寺として全国に名を馳せていましたが、明治11年の大火災により多くを焼失してしまいました。 再建するにあたり、当時海軍鎮守府が開設され、人口が急増しつつあった佐世保への移転を計画。 明治41年に現在地へ移転しました。平成18年には開創1200年を迎えて記念大法会が執行されました。また、平成25年には永代供養墓「蓮華殿」落慶、平成28年には開創1210年記念事業として大山柱建立などを執行いたしました。
なお、弘法大師御刻の爪刻不動明王は、秘仏として扉奥に祭祀されておりますので、通常は御前立本尊さまがお祀りされております。